大麻唯男(おおあさ ただお)

明治22年(1889年)7月7日−昭和32年(1957年)2月20日
熊本県玉名市梅林村大字安楽寺247番地(現、玉名市安楽寺247番地
大地主、大麻幸三郎の四男として出生


  大正3年(1914年)東京帝大政治学科を卒業し、内務省に入り、警保局外事課長を経て、大正13年(1924年)清浦奎吾内閣の総理大臣秘書官から、同年5月政友本党より衆議院議員に出馬し当選した。昭和2年(1927年)6月に立憲民政党に合流後、文部参与官、民政党情報部長を経て党幹事長、党総務、党顧問等を歴任、民政党解散後は大政翼賛会議会局議事部長、昭和18年(1943年)7月より19年(1944年)7月まで東條英機内閣国務大臣を務めた。昭和21年(1946年)5月、公職追放(昭和26年(1951年)8月まで)を受けたが、昭和27年(1952年)2月には改進結成に参加して、重光総裁を補佐、同年10月の総選挙で衆議院議員に返り咲いた。昭和29年(1954年)11月、公安日本民主党結成に参加し、最高委員となる。同年12月より昭和31年(1956年)12月まで鳩山一郎内閣国務大臣国家公安委員長を務めた後、昭和32年(1957年)2月20日死去した。

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